世界では、今だどこかで紛争や戦争が起こっている。その中でも1994年4月、アフリカのルワンダ共和国で起こったフツ族によるツチ族虐殺〔ジェノサイド〕事件は、事件の凄惨さもさるところながら、西欧諸国、そして国連さえもこの悲劇を黙殺したことで、その後の世界に大きな問題を与えることとなった。

その虐殺事件の舞台のひとつであった公立技術専門学校(ETO)を舞台に、事件に巻き込まれた学校長のカトリック教神父と海外青年協力隊から派遣された青年教師が、人生の大きな選択に迫られる、誰の心をも動かさずにはいられない怒りと哀しみに彩どられた衝撃の問題作である。


この映画の製作者でもあり、共同執筆者でもあるデビッド・ベルトンは、自分自身のルワンダにおける体験からこの映画の原案を思いついている。BBC・TVの事件報道番組「ニュース・サイト」の報道記者であったベルトンは、ルワンダで起こった虐殺事件を取材するため、現地に渡りルワンダの各地を移動していきながら、近隣に住むツチ族とフツ族同士の血で血を洗う抗争の様子を目の当たりにしてきた。


紛争から逃れるために、ベルトンと取材チームは、ヴジェコ・キュリックというボスニア人の神父に短期間匿われることになった。キュリック神父は、取材チームに対しても、疑惑の目を向けはじめた極端な敵対民族一掃政策を取る政府側の過激民兵組織から彼らを守る為に、幾度と無く身を挺して抗議に立ち上がってくれた。例えば取材チームの車が道路封鎖で停止を命じられ、銃を構えた酔っ払った過激民兵たちに取り囲まれた時、キュリック神父が銃口の前に立ちはだかり取材チームの命を救ってくれたのである。彼は多くのツチ族の人々を政府軍から匿い、また自分のトラックの床に彼らを隠して国境外に運んで逃がしていた。だが、何年か後に、ベルトンは、キュリック神父がルワンダの首都キガリで何者かに殺害された事を知った。それを聞いた時、それまでおぞましい思い出として心の中に閉じ込めていた、当時の出来事がまざまざと蘇ってきた。

ベルトンは、自分自身がこの救うべき人々を見捨てた、事件から目をそらして逃げ出した、という気持ちから映画化することを決心させ、実際に神父によって運営され、虐殺事件が起こって5日後に国連軍が退去し、見捨てられた約2500人のツチ族のほとんどが次々と殺されていった公立技術専門学校(ETO)を舞台に脚本を書いたのだった。
ベルトンはこの物語を白人側の視点から描く事が重要だと思っていた。それはルワンダ事件に関する西側の記録文書は悪名高い捏造に満ちていたものであり、この事件には白人の役割が重要なポイントを占めていたからである。

この実在するETOと、実際に現地で行動していた人々を物語の中心に据え、映画に当時の緊迫した状況を盛り込もうと務めた。そして1994年の出来事を全くか、又は少ししか知らない観客に対して、『キリング・フィールド』が何も知らなかった新世代の若者に、ポルポト政権がいかに残虐だったかを知らしめたと同様の衝撃を与えた作品を作り上げたのである。


監督はスコットランド出身で『メンフィス・ベル』(90)『ジャッカル』(97)のマイケル・ケイトン=ジョーンズが担当し、この映画は、単にルワンダの事件やアフリカの問題を描くだけでなく、それを我々自身に置き換え、我々ひとりひとりが人間としてどう生きるべきか、何を選択するべきかをという問題を提起した作品に仕上げた。
出演は、クリストファー神父を『エレファントマン』(80)や『ハリー・ポッターと賢者の石』(01)等、イギリスが誇る名優ジョン・ハート、青年教師ジョーをイギリス映画界期待の若手俳優、『キング・アーサー』(05)のヒュー・ダンシー、そしてツチ族少女マリーを『トゥモロー・ワールド』(06)のクレア=ホープ・アシティが演じている。
なお、製作は、イギリスの国営放送局であるBBCが手がけ、ルワンダ共和国の全面的な協力のもとに、実際の舞台となったルワンダの公立技術学校でオールロケを敢行している。